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沖縄戦を指揮した牛島満司令官の孫、牛島貞満さん=2025年5月29日、東京都中央区、竹花徹朗撮影

連載:沖縄戦がおしえてくれること(2)

 東京都の牛島貞満さん(71)は、幼いころから「おじいさまは立派な人だった」と言われて育った。

 妹の担任は、家庭訪問の際に「御霊前にお参りしたい」と願い出てきた。小学校の教員になった時には、赴任予定の学校の教頭が祖母に「閣下のお孫さんを迎え入れることができて光栄です」と電話をかけてきた。

 祖父の名は、牛島満。80年前の沖縄戦で日本軍守備隊「陸軍第32軍」の司令官を務めた人物だ。

 比較的裕福な薩摩藩の士族の出だった祖父は、陸軍幼年学校、陸軍士官学校とエリート軍人の道を進んだ。日中戦争にも参戦し、おおらかな人柄で部下にも慕われたという。

 そして、太平洋戦争の戦局が悪化した1944年8月、士官学校の校長だった祖父は、沖縄などを守備する陸軍第32軍の司令官に任命された。

 生きて帰れないかもしれない沖縄に堂々と赴き、圧倒的劣勢ながら米軍を苦しめた将軍――。

 そんな元部下らの評判は、幼い貞満さんにはわからなかった。自分にとっては、自宅の応接間に飾られた写真の、いかめしい軍服姿の人物、というだけだった。

 だが、高校生になった60年代後半ごろから、祖父の存在を意識せざるを得なくなる。

 当時、日米の沖縄返還交渉が…

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